カールーラガーフェルドは、現在、「カールーラガーフェルド」のメンズとレディース、「シャネル」のオートクチュールとプレタポルテ、そして「フェンディ」97年までは「クロエ」もデザインしていた。シーズンに5つのコレクションを担当するファッション界のマルチデザイナー。38年、ドイツのハンブルグ生まれ。掻歳のとき、ファッションの勉強のため、パリに移住。パリではオートクチュール組合が経営する洋裁学校でファッションを学ぶ。このときの同窓生にイヴサンローランがいる。16歳のとき、国際羊毛事務局が主催するファッションコンクールのコート部門で優勝。その実力がピエールーバルマンに認められ、彼のアトリエで修業。その後、ジャンーパトウに移るが、オートクチュールの世界に失望した彼は、64年に美術を勉強するため、イタリアに遊学。しかし、翌年再びファッションの世界に戻り、クロエ、クリッツィアなどでデザイナーを務める。69年、フェンディのコンサルタントのザイナーに就任。83年、シャネルのオートクチュールとプレタポルテのデザイナーに就任し、シャネルブームを引き起こす。84年には、自らの名前で初めてコレクションをスタートする。日本市場で「カールーラガーフェルド」のブランド名で発売されている服はライセンス物。
低価格な衣料を販売し急成長したユニクロや無印良品。いったい何が起きたのか。これまでにない価格や価値が創造されたのである。その商品が売れるかどうかは次の三つの尺度から判断する。(1)良いものを安くしたものか。(2)同じものをより安くしたものか。(3)良いものを同じ価格で売っているか。ユニクロが売れているのは、良いものをより安くといった、これまでにない「価格創造」をしたことにある。そのためには徹底してコストを下げる以外にない。消費者が財布のひもをゆるめた理由もそのあたりにある。とりわけユニクロが低価格を実現できたのは問屋から仕入れるのでなく、加工コストの安い中国の工場に直接あるいは商社ルートを通じて企画・生産・物流まで一貫した管理システムをとっているからである。それによって低価格の商品を創造したことに成功の要因がある。
ウィンザー公もダブルブレストの愛好者だった。ウィンザー公のワードローブに6つボタンはほとんどなく、4つボタンで2つ留めるタイプが圧倒的に多い。スモーキングジャケットも4つボタン、ロイヤルヨットクラブのマークを彫ったボタンを付けた麻製スーツもまた4つボタンという具合である。ダブルブレストは初期においてはワーキングウェアとして発達し、やがて貴族のリゾートウェアとして進化を遂げていったと考えることができそうだ。北の海で生まれ、パリやサヴィルロウで磨かれたダブルブレストだが、イタリア南部のナポリでも独白の洗練を遂げた。ピイェッケルやフロックコートの前身が準備された18世紀、ナポリはヨーロッパの注目を集めることになる。ポンペイ遺跡の発掘だ。この発掘に立ち会ったフランス人外交官ヴィヴァンードウノンは、遺跡発見のリポートをパリに書き送る。このリポートのおかげで、ナポリはヨーロッパ上流階級者たちが詣でるべき場所としての地位を獲得した。そして観光客の流人は同時に、ダブルブレストの仕立をナポリにもたらした。